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映画 『タクワコアズ』

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Taqwacores

Strand Home Video 2011-04-05
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 11年に発売されたマイケル・ムハンマド・ナイトの小説『タクワ・コア』を映画化したDVD。まず、映画『タクワ・コア』を説明するまえに、マイケル・ムハンマド・ナイトの生い立ちから説明したい。マイケル・ムハンマド・ナイトは77年にウエストバージニア州バークレースプリングスにて、ペンテコステ派の宣教師、ウェズリー・アンガーのもと産まれる。父アンガーは、日本でいう暴走族のような不良グループで、バイカーに属し、家庭では暴力が絶えなかった。ナイトが2歳のころ、家庭内暴力が激しくなり、母に連れられ家を出たという。ジュネーブ、ニューヨークと渡ったナイトは、アイルランド系のカトリックの家庭で育てられた。ナイトがイスラム教に目覚めたのは13歳のころ。パブリック・エネミーの歌詞を通じてマルコムXの存在を知ったのがきっかけだという。マルコムXの自叙伝に感銘したナイトはイスラム教に改宗する。15歳のとき、自らを虐待し白人至上主義者だった父と再会した。じつに13年ぶりの再会だという。白人至上主義者の父に対して、自分がイスラム教へ改宗したことを告げた。それがナイトの初めての反抗だった。17歳の時、パキスタンのマドラサでイスラムを勉強するため、ロチェスターの母の家を出た。その後イスラマバードを旅し、イスラム教への理解を深め、ロシアのチェチェン紛争についても学んだ。しかしナイトはイスラム教を知れば知るほど、イスラム正統派に幻滅をした。それが小説『タクワ・コア』を発表するきっかけになった。発売当初の小説は自主出版という形で製本られたが、ジェロ・ビアフラが設立したオルタナティヴ・テンダクルズによって、複製され配布されたという。

 03年に発表された小説『タクワ・コア』とは、イスラム社会からはみ出した若者たちが、カルフォルニアのムスリムのバンドたちを、ニューヨークに呼ぶ、架空の物語だ。話はニューヨーク州バッファローにあるムスリムのコミュニティ集合住宅に、パキスタン人の学生、ユセフが移住するところから始まる。そこには赤いモヒカンのヤービー、ゲイでニューヨーク・ドールズのようなメイクのスムージー、パティー・スミスの詩の一節を部屋の壁に刻みパンクワッペンが貼り付けられたブルカを纏ったラビア、ユース・オブ・トゥディのTシャツを着こなし敬虔なイスラム教徒でストレート・エッヂのウマルなど、とてもムスリムとは思えない人びとが住んでいた。あるとき主人公のユセフはヤービーらとスケボードで遊んでいたとき、タクワ・コアの存在を知る。タクワ・コアとは、タクワ(アラビア語で「神の意識」)のハードコア。つまりムスリムによるパンク・カルチャーだった。

 ヤービーらは週末の夜に集合住宅でパンク・パーティーを開催していた。そこでは飲酒やドラッグ、フリーセックスなど、教義で禁止されている行為が繰り広げられていた。彼らはアラーの教えを自らの人生訓として心に刻み、重要なアイデンティティと捉えている。しかしシャハーダ(信仰告白)でヤービーが「アラーは寛大にして偉大だ。それに比べてイスラム社会は小さく閉ざされている。俺たちはムスリム(神に帰依する者―アラビア語でイスラム教を信じる人)だが、イスラム(アラーが唯一の神であると信じ、神が最後の預言者と指名したムハンマドを通じて、コーランの教えを信じ従う人々)ではない」と発言する。教義によって禁止された事項の多いイスラム教に対して、不満を爆発させている。彼らは自由と感情の開放と快楽を求めて、ライヴでフラストレーションを発散させ、フリーセックスや飲酒、喫煙などを楽しんでいるのだ。まるで80年代の世間からはみ出したアメリカの若者のように、抑圧された感情を爆発させている。

 ストイックで健全な道徳観を持ったウマルとの確執を挟みながらも、ヤーヒーの尽力によって、カルフォルニアからタクワ・コアバンドを呼ぶことに成功する。ニューヨークで初めてのムリスム・パンクのライヴが開催された。しかし80年代のパンクシーンさながらの暴力事件(死亡事故?)が起き、一夜限りでライヴは終わり伝説と化した。まるで一夜の夢から覚めたようにユセフが鋲ジャンをゴミ箱に棄て、物語は終わる。

 この物語は、アメリカに住むイスラム教徒の若者の複雑な感情を描いたDVDだ。ぼくは小説を読んでいないので、映画と小説の違いは分からない。この映画に関してだけいえば、女性の権利を主張したパティー・スミス、フェミニストを支持したニューヨーク・ドールズ、ドラッグ、酒、カジュアルなセックスを否定したユース・オブ・トゥディ、猥雑なワーキングクラスのエクスプロイデッドなど、それぞれに違ったライフスタイルを信仰している。アメリカン・パンク・カルチャーに多大な影響を受けながらも、ムスリムの誇りを棄てていない。そこには差別する白人への嫌悪とパンクを創った白人へのリスペクト、自らのアイデンティティーであるイスラム教への誇りと抑圧されていることへの苛立ち。そんな相克する感情の狭間で気持ちが揺れ動いている。世間からはみ出した少数派のイスラム教徒の複雑な心境を、描写した物語なのだ。この小説はアメリカの若いイスラム教徒にとって、イスラム教徒版の『ライ麦畑をつかまえて』と評価されているそうだ。

 この映画がアメリカのイスラム教徒の心境を正確に捉えているのか、ぼくにはわからない。しかもどのような影響をあたえたのか定かでないので、個人的な感想を控える。ひとついえるのは、この小説に感銘を受けたムスリムの若者たちによって、現在、『タクワ・コア』のシーンが立ち上げられたという事実。パンクによって、人生観が180度変わる衝撃を受けたぼくとしては、独創的な思想とサウンドを持ったバンドたちが、新たなパンクシーンを立ち上げてくれるほど、喜ばしいことはない。そういった意味では、価値のある作品だ。


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サーカ・サヴァイブ  『アペンデッジ』

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Circa Survive

Wea/Atlantic 2011-04-11
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 10年に発表された2枚目のEP。『ブルー・スカイ・ノイズ』のシングルのB面に収録された曲を集めた作品で、オフィシャルサイトのみ販売。いわば『ブルー・スカイ・ノイズ』のコンセプトに合わない曲を集めた作品だが、個人的には好き。なぜなら実験的なサウンドを展開し、とくにメロディーがすばらしいから。

 そのサウンドは、ネオサイケやアンビエント、音響などのメロディーを、エモに取り入れている。エモ/メロディック・パンクというサウンドフォーマットに違った要素を持ち込むといった意味では、『ブルー・スカイ・ノイズ』と変わらない。だが感情のベクトルか明らかに違う。1曲目の“スリープ・アンダグラウンド”では、古びたオルガンの音を使い、薄汚れた路地裏のアンダーグランドが、いかにも安らかな眠りを誘う快適な場所のような世界を演出している。3曲目の“エヴリウェイ”では、水面に波紋が広がり生命が躍動するような、やさしく神秘的なメロディーを展開。5曲目の“ラザロズ”では、日の光があたらない森深くで、大自然にあるがままに身を任せているような恍惚がある。

 ここには絶望や孤独や閉塞感はなく、心地よくやすらぎに満ちている。まるで荒み渇ききった心に水がしみこむような、精神が落ち着くビューティフルなメロディーだ。ペシミスティックな彼らではなく、違った一面が、とてもいい印象を与えている。いい作品だ。


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サーカ・サヴァイブ  『ブルー・スカイ・ノイズ』

Blue Sky NoiseBlue Sky Noise
Circa Survive

Atlantic 2010-04-20
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 10年発表の3作目。前作の爆音ギターはなくなり、メロディーに重点を置いた作品に仕上がった。やはりメジャーに移籍したためか、アクの強かったサウンドはソフィスケートされ、よりポップに仕上がった。

 今作では、エモを基盤にしている。そこにポスト・ロックやプログレなどの要素を加えた。メロディーは、近代ヨーロッパのアンティークなメロディーから、マタドール、アラブ、ファンク、アコースティック、アメリカン・ハードロック、寂しげな南の島をイメージさせるトロピカルなメロディーいたるまで、じつに多彩。それを木枯らしのような内省と切なさと、寂しく悲しげでナイーブな世界観に統一している。

 歌詞は難解さが取り払われ、より解りやすい表現に。基本的には二人称で、ぼくとあなたの世界。“ゲット・アウト”では<試してみることの価値はない>と歌い、“ダイドゥ・イン・ザ・ウール”では、<私たちが築いた愛を捨てる。~なにも変えようとしとないとき、幸福を失ったと感じる。あなたが理解するだろうと言うとき、私はあなたを知ることができない>と歌っている。全体を通して絶望的で厭世的な内容が多い。

 歌詞はカート・ヴェネガットやサリンジャー、バロウズにインスピレーションを受けているそうで、絶望にたどり着くプロセスや、ドラッグを題材にした歌詞などの部分で、影響を受けているように思える。アメリカでは、前作の哲学的な難解さが取り払われ、歌詞に成長の後がうかがえるとの評価だそうだ。

 間違いなく今作が彼らの最高傑作だろう。たしかに強烈な被害者意識や苦痛をあげる子供の叫び声に近いボーカルなど、初期衝動のようなインパクトやアクの強さは失われてしまった。だがメロディーやリズム、ボーカル、歌詞などを含め、圧倒的にサウンドのヴァラエティーが広がり、円熟味を増している。なによりいいのは、いびつで奇妙なメロディー。どこかで聴いたことのあるメロディーであっても、AメロB メロ、曲の一小節ごどにメロディーの組み合わせを変えているため、いびつで奇妙に感じる。それを感情によってトーンを変えるボーカルの脆く透明な歌声が、技巧やマニアックな趣味に走りがちなサウンドに、シンパシーや独特の世界観をあたえ、複雑な難解さを回避し、うまくまとめている。衝動やエモーショナルといった部分では物足りないと感じるかもしれないが、もともと華奢で気だるい退廃的なムードが持ち味のバンドだけに、いたしかたないのかもしれない。個人的には前作の甘美でサイケデリックなサウンドが好きたが、この作品のヴァラエティーの豊富さも同じくらい好きだ。


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サーカ・サヴァイブ  『オン・レッティング・ゴー』

On Letting Go (Ocrd)On Letting Go (Ocrd)
Circa Survive

Equal Vision Records 2007-05-29
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 07年に発売された2作目。彼らの存在を一躍有名にしたのはこの作品。前作の孤独と寂寥に満ちた世界観こそ変わらないが、ポスト・コアやマーズ・ヴォルタを含めたプログレからの影響は薄くなった。代わりにDredgのような爆音ギターを前面に押し出している。

 今作ではさらに内面世界を思索している。ここで歌われている内容は、理性と感情の葛藤や、失われた匂いや感情や感覚、時間の浪費や喪失などについて。総じて俯瞰しているし、ふあふあしていてシュールだ。たとえば“ユア・フレンズ・アー・コーン”では<あなたが隠すために安全な場所だと思った心のなかが~すべての友人を失った原因>と歌っている。それが後悔なのか、よい結末だったのか、教訓的でもあり、どっちともとれる曖昧な内容だ。前作はギリシア神話で、今作では新訳聖書の物語を示唆するような内容だという。“マンダラ”という仏教的なタイトルの曲もあるし、それが本当なのか詳しいことは、よくわからないが、独特の世界観を持っていることはたしかだ。

 歌詞が与えている影響に関していえば、ぼくの英語力が未熟で、すべてを理解できない。でもこの作品に関していえば、最大の魅力はメロディーだ。しかも独特な美しさがある。爆音ノイズギターと繊細で甘美なメロディー。淡い炎によって周りの空気が揺らめくようなサイケデリック・サウンド。そしていまにも壊れそうな繊細で脆い美声のボーカル。その声は軽やかで優しくも憂鬱で暗さを感じる。そのボーカルがメロディーの中心を担い、マイ・ブラッティー・ヴァレンタインや、DREDっぽさGを回避している理由であり、彼ら独特の陰鬱なインテリジェンスを持った特異な美的な世界観を形成している要因だ。

 なによりアドバルーンに人間の頭が燃えているアルバムジャケットもカッコいいし、サウンド、ボーカル、すべてにおいて美しい。その美しさが病みつきになる作品だ。


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CIRCA SURVIVE  『Juturna』

ジュターナジュターナ
サーカ・サヴァイヴ

HOWLING BULL Marketing 2006-10-25
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 05年に発表されたデビューアルバム。基本的には前EPの延長上にある作品。アメリカのサイト、メロディック・ネットでは初期マーズ・ヴォルタとサニー・ディ・リアル・エステイトを足して2で割ったサウンドと評価されている。ものすごくおおざっぱに言ってしまえば、そうかもしれない。だがそれなりに違いもある。マーズ・ヴォルタほど曲の展開は複雑ではないし、メロディーはそれよりも美しい。なにより攻撃性をすべて排除し、強烈な被害者意識と孤独と寂寥に満ちた音楽は彼らだけのものだ。

今作では11曲入りとあって、アレンジのヴァラエティーが増えた。前EPと同様のピンク・フロイドから影響を受けたサイケデリックで退廃的なムードのギターから、誰からも相手にされないような寂寥に満ちたエモ系のメロディー、中期ソニックユース系の高みに昇っていくノイズギターなど、いろいろなアレンジの曲がある。とくにサイケデリックのメロディーが多い。EPよりもこったアレンジが少なく、若干シンプルになった印象を受ける。

 歌詞は、自分のエゴを棄てることがテーマになっているようだ。普通エゴを棄てるといったら、修行僧的なストイックさを想像するが、ここでは苦しみを伴うものとして捉えている。たとえば“ウィッシュ・リサイン”では、<あなたが愛するものは長持ちしない。最初は平穏ですばらしき日々であっても、年齢を重ねるごとにそれらは失われていく。だから私たちは瞬間のすべてを否定することが必要>、と歌っている。そこにあるのは、失われてしまったものへの儚さと悲しみ。何をやっても顛末は悲惨なものでしかないという、虚無感が漂っている。すべてが受け身で、挑戦していくことや戦う姿勢といったものが拒否されている。ある意味仏教的な万物流転や因果応報といった考えかたに近いが、それをプログレの知的で難解で陰鬱な世界で表現している。

 この受け身で被害者意識の強い軟弱なサウンドに好き嫌いが分かれると思うが、ぼくはかなり好きだ。ポップで美しいサウンドながらも暗く陰鬱な雰囲気や、聴き終えたあとに訪れる暗く落ち込んだ気分、考えても袋小路に追い詰められるような絶望感や、ダメな自分を再認識させられるような弱さがいい。情熱や闘争心よりも理性を重んじ、先のことを考えすぎて絶望や閉塞感に陥ってしまう考えかたが、ある意味、現代の若者を象徴している。いまの20代を象徴するバンドなのだ。


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