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BAD RELIGION 『TRUE NORTH』

トゥルー・ノーストゥルー・ノース
バッド・レリジョン

SMJ 2013-01-23
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 12年に発表された16作目。いつもながらの性急なスピードのメロコアに変わりはない。今作では、1曲除いてすべての曲が2分台で、ファストな曲でしめられている。たとえるなら、『ノー・コントロール』のように、メロディーよりもギターコードに重点を置いて作られている。芯の強さを感じることのできる力強さが魅力の作品だ。

 『トゥール・ノース』というタイトルの意味は、コンパスが示す極北と、地図に書かれた極北の位置の違いについて。自分の人生という長い時間のなかで、主義や理想や信念が、状況や生活によって、生きていくために変更を余儀なくされる。それを真実の北の位置示す方位磁針というメタファーを使って表現している。その言葉に込められている意味とは、自分にとっての真実、(真実の北の位置)とは、なにか。人生の意味とは何なのかを、探求している。そして何かを成し遂げることをテーマに、長い人生を総括しようとしている。

 ここで表現されている感情は2つ。ひとつは怒りについて。“ロビン・フッド・イン・リヴァース”では、金持ちがさらなる富を稼ぐため、キリストにお祈りを捧げていると歌い、“ランド・オブ・エンドレス・グリード”では、富裕層の際限なき欲望のために貧困層が犠牲になっていることを歌っている。“ファック・ユー”では、たとえケンカに巻き込まれ、友人を失っても、その言葉を言わないといけない時があると歌っている。歌詞自体、難解な比喩や言葉を取り払い、シンプルな言葉で怒りを述べている。その怒りの矛先も、矛盾や欺瞞を唱える宗教、富をむさぼる資本家 など、対象が明確。年をとると10個あった怒りは、半分に減っていくという。半分に減る理由は、そこに自分の落ち度や至らなさに気付くからだ。そして反省や過ちの懺悔するたびに理解力が深まって、次に同じ経験をしても怒らなくなる。そして最後にはひとつだけ残るという。でも残ったひとつは、理解することによってさらに怒りがこみ上げてくる類のもので、尋常でない怒りを伴っているという。ここで歌われている怒りとは、フィルターを通り越した根源的な怒りなのだ。

 そしてもうひとつは人生について歌っている。 “パスト・イズ・デッド”では、深い後悔や罪の意識に苛まれても、うまく忘れることが成功の秘訣と述べ、<過ぎ去った時間はもう死んだ。善行を積んでも先に進めない。大切なのは今どうあるべきか>と、歌っている。““チェンジング・タイド”では、普遍的に変わらないと信じていた信念が、変化していくものだということに気づけと、歌っている。 大切にしている信念というものは、考えが古くなり、頑固に固執しても、自分の柔軟性を失うだけだと述べている。永遠に変わらないものや深く信じているものこそ変化の対象だから、もっと知識を身に付け、違った角度から検証しなおさなければならないと歌っている。

 ここで鳴らされているのは、挫折や悲しみや苦しみなどの経験の先にある音だ。たいてい歳を取ると、制御の効いた感情と、人生を振り返るような円熟味に向かう。でもここでは枯れや落ち着きはない。あるのは尋常でない怒りだ。知識と経験を身に付けた結果、たどり着いた境地なのだ。その気持ちに達した理由は、後世に負の遺産を残したくないという思いからだろう。このまま進めば戦争に突入するかもしれないのに、それなのに自分たちの儲けしか考えない富裕層に対して怒りが増加したのが原因だろう。

 人生歳を取ると責任が増えていく。そのなかで人にあたえる歓びがあることに気付くそうだ。90パーセントに属す人々がハッピーになるためには、10パーセントに属し富を独占している人々を引きずりおろすこと。人より有名な自分たちが富裕層の悪徳を暴露していかなければいかない。人々に不況の原因がどこにあるのか答えを提示することが彼らの義務なのだ。それが彼らの捜し求めていた答えであり、人生の意味や存在理由なのだ。その考えが、社会の幸せに繋がると考えているようだ。それが今作のモチベーションなのだ。

 歳を取らなければ理解できない怒りに満ちたサウンドだし、今作もいい作品だ。

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ファーザー・シームス・フォーエバー 『ペニー・ブラック』

Penny BlackPenny Black
Further Seems Forever

Rise Records 2012-10-22
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 デビュー作のボーカリストであり、現ダッシュボード・コンフェショナルのクリス・ギャラハーが電撃復帰をはたし、12年に発表された4作目。じつに8年ぶりとなるオリジナルアルバム。

 まず始めに再結成をした経緯から説明したい。ファーザー・シームス・フォーエバーは07年に解散した。その後、ギターのコルドバとジョン・バンチが新バンド、フィールドズ・フォーエバーを結成。ドラムのスティーブはシャイ・ハルードで活動し、それ以外のメンバーは音楽活動を辞めていた人もいたという。それが10年の8月に、クリスとドミンゲスの再会をきっかけに、初期のオリジナルメンバーで再結成が決まった。そもそもクリスは、仲違いが原因でファーザ・シームス・フォーエバーを脱退したわけではない。クリスを含めたメンバー全員はフロリダ出身で、ニュー・ファンウンド・グローリーやアンバーリンなどと同じパンク・シーンに所属していた。05年には、クリスがファーザー・シームス・フォーエバーのライヴに飛び入り参加したりと、その後も交流は続いていた。今回、再結成を持ちかけたのは、おそらくクリスだろう。現在クリスは、ダッシュボード・コンフェッショナルの活動に行き詰まりを見せているように思える。クリスの音楽活動を振り返ってみると、ファーザー・シームス・フォーエバーを脱退した直後、ダッシュボード・コンフェッショナルというソロプロジェクトを結成した。そこでは彼は、彼女にフラれた悔しさを、エモーショナルに熱く歌いあげ、50万枚を超えるセールスを記録した。アメリカ全土にその名を知れ渡るような名声を手にしたのだ。ダッシュボード・コンフェッショナルの初期のサウンドは、アコースティック・ギターにボーカルのみというシンプルな構成だった。その後、アルバムを重ねるごとに、セカンド・ギターやベース、ドラムなどのメンバーが加わり、バンド形態を保つようになった。サウンドも、サニーディ・リアル・エステイトなどののインディー要素や、REMやバーズなどの王道アメリカンロックなどを取り入れたり、つねに音の厚みと深みが増した進化を遂げていった。その後アコースティックのみのシンプルなサウンドに原点回帰をした作品を発表し、09年にはデジタルな要素を取り入れ、より複雑な展開をみせた作品を発表した。そして11年にはクリス・ギャラハー名義でカヴァーアルバムを発表。しかしそのあたりからサウンド的なアイデアが行き詰っていたようにも思えた。個人的には自分のやりたいサウンドをやりつくしてしまったから、カヴァーを発表したかのように思えた。それに加え、失恋ソングを歌うことに限界を感じていたのかもしれない。ダッシュボード・コンフェッショナルというバンドは、失恋ソングを感情の高ぶるままにアコースティックのチープな旋律に乗せ、歌う姿が彼らの個性であった。もちろん美声という才能とスウィートなメロディーという魅力もさることながら、固定されたイメージがあった。自身のイメージや音楽性を180度転換するような作品を作ると、ファンを裏切ることになる。そのため、目に見えない制約に縛られていた。自身がやりたいサウンドとファンの期待とのギャップ。失恋ソングを歌い続けるマンネリ。その狭間で葛藤し、別の角度から音楽を見つめなおす必要に迫られていたのだろう。

 そこで浮上したのが、今回の再結成だ。クリスは音楽の初期衝動を凍結して閉じ込めたという稀有な経験を持つ人物なのだ。レコーディングやライヴといった初体験を、すべてファーザー・シームス・フォーエバーというバンドで経験したのだ。希望と不安の入り混じった感覚や、音楽技術の向上、失敗や成功という経験、そんな初期衝動が、このバンドを脱退したことによって、凍結したように閉じ込めていたのだ。たいていのバンドは同じメンバーと長く過ごす時間のなかで、初期衝動やフィーリングが失われていく。原点回帰といっても、あくまで気持ちの切り替えという意味でと、昔のサウンドを真似たという意味でしかない。どんなに過去の感覚を思い出そうとしても、現在の経験がベースになっているから、昔はこんな感じだっただろうというおぼろげな感覚でしかない。しかしクリスの場合、ミュージシャンとしてのキャリアはダッシュボード・コンフェッショナルであったため、バンドメンバー同士で熱い議論を交わすといった行為や、自分の意見がまったく通らないという経験がなかった。ダッシュボード・コンフェッショナルでは、サウンドプロダクトを自分ひとりで構築し、他人の意見を挟む余地のないサウンドを自分の感性が納得行くまで一人で練った作品を作っていた。それがファーザー・シームス・フォーエバーでは、年齢が一番下で、サウンドに口を出す権限がなかった。しかもクリスチャン・パンクを中心としたエモーショナル・ハードコアなサウンドだ。恋愛ソングも皆無。自分で何もかも独善的に決めている現在、そういった環境が、逆に新鮮に感じるのかもしれない。そんな初期の感覚を取り戻すことによって、さらに成長できると思ったのだろう。だから再結成を決断したのだろう。あくまで期間限定であるが。

 そんなプロセスを経て発表された今作は、過去の作品とはまったく異なったサウンドを展開している。ポップよりのエモーショナル・ハードコアをベースにしたサウンドと、4ビートのスローテンポなリズムこそ変わっていない。だが、彼らの特徴であったクリスチャンのメロディーはなくなった。荒々しいギターコードを中心に、扇情的なメロディーを取り入れている。メロディーもそれほど特徴的とはいえないが、過去の作品のなかで、一番荒々しいサウンドだ。それに加えクリスのボーカルも、ダッシュボード・コンフェショナル時代とは違い、熱さを前面に出した歌い方をしている。そこにあるのは人生を前進していく熱さ。アルバムは、熱くエモーショナルな曲で始まり、間段なく勢いが続いていく。おそらく前に進んでいくことが、このアルバムのテーマなのだろう。たとえば“リソース・トレインド”では、失うことに恐れを感じながらも前ヘ進み、“ウェイ・ダウン”では、生き残るために走り続ける必死さがある。そして“スタリング・ダウン・ザ・サン”では愛する気持ちを理解されない、苦しみやすれ違いについて歌っている。“ペニーブラック”では、人生で抱えている問題を一歩づつ解決し、乗り越え進んでいる重苦しさがある。“エンジンズ”では気持ちを前面に押し出し戦う熱さがある。この作品では、さまざまな形の人生の苦難や問題、絶望的な状況に陥っても立ち向かい、乗り越え前に進む熱情を提示しているのだ。そして最後の“ジェニー”で、意外な終わり方をする。この曲で罪の告白や悔悛、懺悔をしている。激しく戦い、走り続けてきた結果、いろんなものを手にした。だがその分、人を傷つけてきた。失った代償も大きく、傷つけた他者に対する懺悔をしている。全体的にいささか示唆的で教条的な傾向にあるが、愛や自分の弱さとの戦いといった人間の本質にあるものを追求した作品といえるだろう。 おそらくクリスギャラハーが取り戻したかった原点とは、多種多様な不幸の形という表現と、曲の完成度よりも勢いを重視した荒削りなロック・サウンドなのだろう。成功を手に入れ、恋愛が中心の多幸的な感情が飽和状態に陥った現在、再度ハングリーさを取り戻す必要があったのだ。

 クリス・ギャラハーの初期衝動に似た熱い叫び声と、尋常でないテンションの高さがとても魅力的で、聴くものに怖れず立ち向かうガッツと、リスクを怖れずがむしゃらに人生を生き抜く必死な気持ちにさせてくれる作品だ。過酷な世間と向き合うための指南となる一枚だ。

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ファーザー・シームス・フォーエバー 『ファイナル・カーテン』

Final Curtain (W/Dvd)Final Curtain (W/Dvd)
Further Seems Forever

567 Records 2007-04-03
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 07年に発表されたDVD付きのライヴ・アルバム。その内容は、6月17日にアトランタで行われたラストライヴと、『ハイド・ナッシング』のボーナストラック3曲に、未発表曲のビョークのカヴァー、クリス・ギャラハーがボーカルのデビューEPから3曲、未発表曲が1曲、計20曲が収録したCDに、ラスト・ライヴの映像と、解散の真相に迫ったインタビュー等が収録されたDVDの計2枚組の作品だ。

 レア曲を収録したCDもマニアにはたまらない作品だが、注目すべきはDVDだ。とくにラスト・ライヴでは、爽やかなほど、やりきった感が漂っている。過去 3枚のアルバムからいい曲だけを選曲し、演奏。そこに後悔や解散を悔やむ気持ちはまったく漂っていない。クリスがボーカルの曲も、ジェイソンが歌った曲も、ジョンのボーカルが違和感なくはまっていた。彼のボーカルがファーザ・シームス・フォーエバーというバンドにもたらした功績は、安定した活動だったのだろう。このライヴDVDを観ると、メンバー同士、ギスギスした部分がまったくないのが理解できる。まるでジョンが中心のバンドのように思えてしまうほど、この4人の演奏はまとまっている。基本的にはジョンを除いた楽器メンバーが中心のバンドだ。だがジョンが脱退を表明したいま、音楽に対する情熱的も失ってしまったため、解散を選んだのだろう。それほどジョンの功績が大きかったことが理解できる。

 かたやインタビューのほうでは解散の真相を語っている。家を留守にする長い生活に疲れ、家族と過ごす生活を選んだメンバーもいれば、<遣り残したことは何もない。いまは晴れ晴れとした気持ちだ>と、答えたメンバーもいた。総じていえるのは、メンバー全員が年をとりすぎていたし、これ以上、ブレイクすることがないと思っていたに違いない。それに妥協してポップ・ミュージックを作りたくないという気持ちもあった。良質なロックを作り続ける情熱も薄れたのかもしれない。はたまた長いツアー生活にも疲れ果てた。それらの要素が複雑に絡まって解散という選択に行き着いたのだろう。倦怠感と諦めからくる晴れ晴れとした気持ちがメンバー全体から漂っている。そんな自分たちのありのままの気持ちが、このDVDには収録されている。メンバーにとって、この作品は卒業アルバムのような作品といえるだろう。音楽的な大成功を収めることの出来なかったインディー・バンドのひとつの結末。バンドの晩期を赤裸々に告白した作品だ。

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