プロフィール

  •    宮本 一高         (みやもと かずたか)
                                        音楽ライターを目指しているものです。EAT MAGAZINEやDOLLなどで執筆をしておりました。おもにエモ、ハードコア、スクリーモ、メロディックパンクを中心に取り上げております。自分が感動した音楽を、積極的に紹介していきたいと思いますので、よろしくお願いします。 

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2014年6月

2014/06/25

映画  クラス:ゼア・イズ・ノー・オーソリティー・バット・ユア・セルフ

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 現在、新宿K's cinemaにて公開されている映画、『CRASS:ゼア・イズ・ノー・オーソリティ・バット・ユアセルフ』の感想。クラスとは77年にイギリスからデビューしたパンク・バンドで、アナーキー&ピースをスローガンに、D.I.Y(自分のことは自分で行動しろ)や、反戦、反核、フェミニズム、動物愛護、環境保護などのメッセージを発信したバンドである。とくにサッチャー政権に対しては、徹底した批判活動をした。イギリスとアルゼンチンが戦争に突入したフォークランド紛争に対しては、過激な行動に出た反対運動を行った。その活動はのちにアナーコ・パンクと呼ばれ、パンクの新しい概念や解釈を創り、さらに定義を押し広げることに貢献したのだ。当時セックス・ピストルズやクラッシュの過激な発言や派手なファッションがパンクの陽の部分であるなら、黒服に身をまとい誰からも制約の受けないインディーレーベルからのクラスの活動は、徹底したアンダーグランド志向だった。まさにパンクの陰の部分を担っていたバンドだったのだ。


 肝心の映画の内容だが、過去のバンド活動への振り返りと、現在の活動について、2つの事柄が語られていた。とくに個人的に興味を持ったのが、現在の彼らの活動について。彼らは現在も大自然に囲まれたダイヤル・ハウスに住んでおり、自給自足の生活を行っている。60歳をすぎた現在も、ポリティカルな反体制的な活動を続けている。ただし80年代のような、バンド活動を通じてレーガンとサッチャーの会話を捏造した偽テープをマスコミに送りつけるという、ラディカルな行動はしていない。中心メンバーであったドラムのペニー・リンボーは現在、バンド活動そのものにも興味がなくなっているようだ。(そもそもバンド・サウンドを作っていたのはフィル・フィリーとアンディー・パーマで、ペニー・リンボーはおもに作詞面を担当していた)


 現在、彼らが行っている活動とは、グローバル企業や富裕層への抗議。食料を自給自足することによって、グローバル企業の商品を、なるべく買い控えるといった不買運動や、クラスのロゴが入ったTシャツを着ていたベッカムのような富裕層への批判といった活動をしている。(クラスのロゴのTシャツを着ているベッカムは、ロゴの意味や著作権の侵害だという事実をまったく知らないで着ている)ベッカムへの批判の理由は、クラスのロゴという著作権が無視され、クラスのメンバーの元にお金が入ってこないからだ。その事実を映画を通じて訴えかけている。だがグローバル企業に対する抗議活動は、不特定多数がレコードを聴いて彼らの行動を知ることができるクラスのころよりも、はるかに効果が小さい宣伝活動だ。映画のなかだけでひっそりと語られ、80年代のころよりもはるかに世間に訴えかける行為が希薄なのだ。その活動はまるで隠居した隠者のような控えめな行動だ。そこが個人的にはものすごく惜しいと感じ、残念に思えた。クラスの元メンバーが現在もなぜグローバル企業を否定して、過酷な自給自足な生活をする理由を、もっと具体的な意見を持って、映画のなかで語ってほしかった。そして怒りをもって真実を訴えかけ、行動に出て欲しかった。


 映画ではグローバル企業に対して具体性を持って語られてはいなかったが、たしかに恐ろしい存在であることに間違いはない。村上龍の小説『愛と幻想とファシズム』では、グローバル企業の顛末は、恐ろしい世の中になると予見していた。その物語は、人間が生きていくうえで必要なインフラと衣・住・食すべての供給を握ったグローバル企業が、国家の権力を超越し、聖書に書かれている<最後の審判>が行われるという話だ。その最後の審判とは、グローバル企業の傘下に入ることができる企業と、入れない企業(資本金の援助を受けられず倒産していく企業--働き給料を得ることができない従業員には死が待っている)との、選別が行われる。グローバル企業の利益を追求する姿勢には、倫理観や人権は介在しない。人々は生きる権利もなく、奴隷や機械のように働かされ、利用価値がなくなれば、使い捨てられる。まるで窓のふちで死んでいる昆虫のように、誰にも知られることなくのたれ死んでいく。グローバル企業の行き着く末には、そんな恐ろしい世界が待っていると、懸念しているのだ。現に日本では経済同友会(日本の大企業のトップが集まった団体)の会長、長谷川閑史(やすちか)らによって、残業代ゼロなる恐ろしい法律(彼は段階的に300万円まで法案の引き下げを求めているようだ)が国会に提案された。そして安倍内閣と自民党の合意によって、法案が施行された。グローバル企業が支配する世界というのは、あながち絵空事ではなくなりつつあるのだ。


 そんなグローバル企業に立ち向かっていく手段としてクラスのメンバーが選んだ方法論は、だれにも頼ることのない自給自足という生活なのだ。しかしながら映画でも語られていたように、自給自足という生活は、蝿が大量発生する水飲み場や、自分たちの排泄物を肥料にする循環システムなど、人間が日常の暮らしで求めている快適性や便利さとかけ離れている。つねに異臭や不衛生さが付きまとう自給自足生活は、クーラーや衛生上清潔な環境で快適な生活をしている我々からすれば、地獄のような過酷な環境なのだ。もはやwindowsやappleなどのパソコンやスマートフォンやアメリカ大手石油7社から享受しているガソリン、食料etcなどの商品を不買して生きていくことは不可能だ。もはやグローバル企業を否定して生きていくことは不可能なのだ。


 だからといってグローバル企業の言いなりになってはいけない。村上龍の小説のような最悪の事態に陥らないため、グローバル企業の動向を監視する必要はある。誰かがグローバル企業の思惑を、インターネットや雑誌、音楽、テレビ、ラジオなどのメディアを通じて、訴え続けていかなくてはいけないのだ。今回、そんな役割をクラスのメンバーに期待してしまった。映画を通じて、グローバル企業の実態や、対抗手段を、もっと具体的に説明してくれてもよかったのではないかと思えた。その部分がものすごく惜しいと感じたし、現在のクラスの物足りなさを感じた最大の要因だった。映画のなかでボーカルのイグノランドは、「今の若者は大人しすぎる、闘争やデモといった手段で行動に出ようとしない」と嘆いていた。たしかに貧困に喘いでいるのは、若者のほうが圧倒的に多い。いつの時代も若者が立ち上がらなければ、何も始まらない。だが知識や見識のない若者たちに、デモや闘争を促すトリガーという存在にクラスはなってほしかった。そしてなにより、同じ気持ちと境遇で、怒っている世界中のパンクスの団結を促す遠因になってほしかった。私自身、酷な要求をクラスに求めていると思うが、そのあたりがものすごく残念に思えた。もし映画を通じて訴えかけてくれたのなら、クラスの評価がさらに高いものとなったと思うが。

2014/06/21

Taking Back Sunday (テイキング・バック・サンデイ)  『Happiness Is (ハッピネス・イズ)』

Happiness IsHappiness Is
Taking Back Sunday

Hopeless Records 2014-04-01
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 14年に発表された6作目。じつに3年ぶりとなる作品。6作目となると円熟期に突入し、マンネリが続き、倦怠ぎみになりがちになる。だが海外からの評価が高い作品に仕上がっている。前作『テイキング・バック・サンディ』は、自らのバンド名を関し、原点回帰の意味合いが強い作品だった。そういった意味では、2作目と5作目のミドルテンポのスピード感と、荒々しいギターのパンク・サウンドを今作もベースにしている。とくに変わった部分をあげれば、メロディーの変化とスクリームがなくなった部分にある。とくに変わった部分はメロディーだ。前作は激しさとクールさという2面性がいったりきたりするサウンドで、激しいギターコードの隙間を一筋の光が刺すようなメロディーが魅力的であった。今作ではそのメロディーの部分にスポットをあて進化させている。

 今作は、アルバム・タイトルの『ハッピネス・イズ』にあるように、至福感がテーマになっているようだ。今作ではさまざまな形のハッピネスを表現している。たとえば“フリッカー,フェイド”では、蜃気楼のようなスライドギターの奥底でひっそりと響く洞窟で落ちる雫のようなアンビエントなメロディーが印象的で、“オール・ザ・ウェイ”では、夜空の星々のようにキラキラ光るロマンティックなギターのメロディーを展開している。“ビート・アップ・カー”では、尺八のような落ち着いた音色が、暗がりにまどろむような大人のムーディーな雰囲気を作っている。そして“ナッシング・アット・オール”は子守唄のようにささやく癒しにあふれた歌声が魅力だ。

 アルバム全体を通して感じられるのは、都会的な洒脱なクールさをベースにした至福感や、おしゃれに酔うようなロマンティックな気分、大自然の空気を吸うような癒しなどだ。それが彼らの提示するハッピネスの形なのだろう。その落ち着いた雰囲気は、前作の熱量や衝動などとは対極にあるサウンドを展開している。そういった意味では、今作も新しいことにチャレンジしているのだ。

 その新しい音楽を作る意欲が倦怠気味にならなかった理由だろう。彼らが表現したい感情や演りたいサウンドというモチベーションがある限り、彼らはまだ健在なのだ。安定した良作といえる作品だ。

2014/06/13

Chiodos (チオドス)  『Devil (デビル)』

DevilDevil
Chiodos

Razor & Tie 2014-03-31
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 14年に発表された4作目。じつに4年ぶりとなる作品。これがすばらしい作品に仕上がっている。今作を発表する2年前の12年3月27日にボーカルのボルマーとドラムのウェインが脱退した。そしてオリジナルメンバーであったギタリストのジェイソン・ヘオルも脱退。普通、メンバーの脱退とは、最悪な出来事のひとつだ。だがチオドスの場合、それがいい方向に進んだ。

 直後の4月に、前ボーカルであるクレイグが正式に復帰。グレイグが誘う形で5月にこれまた前ドラムのデリックも復帰した。彼らが復帰した理由は、おそらく確執があったメンバーの脱退が大きく関係しているのだろう。それと新メンバーで活動したチオドスがうまく軌道に乗ることができなかったから、バンドの中心メンバーであるブラッドリー・ベルが彼らの復帰を望んだのだろう。そして新ギタリストの元フォール・オブ・テロリーのトーマス・エラクを迎えた。

 そんな紆余曲折を経て発表された今作は、まさに新しく生まれ変わったという言葉がフィットする内容の作品に仕上がっている。ベースにあるのは、前々作のクラッシックの上品で華麗なメロディーと、地獄の叫び声ようなスクリーム。上流階級の優雅で華やかな世界観自体は前々作の要素を復活させている。今作ではそこに希望に満ち溢れたメロディックパンクや、不気味なバラード、アコースティックな曲など、新しい要素の曲が加わった。そしてなにより今までとの違いは、1曲にいろいろな要素を詰め込んだカオティックな展開にある。

 たとえば、“オレ・イズ・フィッシュリップス・デッド・ナウ”では、ブラストビートのドラムと凶暴なスクリームで始まり、リヴァーヴする反響ギター、ハンマーのようなギターのリフ、ナイーヴなピアノがカオティックに入り混じっている展開に変化していく。また“ホワイ・ザ・マンスターズ・マター”では、悲劇のようなドラマティックなメロディーで始まり、フォール・オブ・テロリーのようなカオティックなギターのリフへと移行していく。そして7では不気味で恐怖を感じる中世の館のようなメロディーで始まり、そこから極楽浄土へ導かれるハープの音色に変わっていく。そこには、上流階級の優雅で華やかな世界観をベースにしながらも、クラシックなピアノ、暴虐なスクリーム、透明で力強く伸びのあるメロディックな歌声、ブラストビート、リヴァーヴ・ギターがめまぐるしく変化していくカオティックな展開がある。メンバーそれぞれの特徴が1曲に反映されながらも、綺麗に整えまとめられているのだ。その理由は曲の作り方を変えたからだという。以前は特定のメンバーが一人で作曲をしていたそうだが、今作ではグレイグがアコースティック・ギターで曲の輪郭を作ってきたそうだ。その骨組みにほかのメンバーのアイデアを加えた。メンバーそれそれがスタイルの音楽を聴いているから、いろんなタイプの曲ができたという。それがバラエティーの富んだサウンドの理由なのだ。

 ボーカルのグレイグが復帰したが、もはや脆さや危うさはなくなり、芯の強さを感じるタフさに変化してしまった。そういった意味では、脆さや危うさといった初期衝動は失われてしまった。たしかに初期衝動は失われてしまったが、代わりに団結力という新しい魅力を獲得した。その団結力が、お互いの長所を引き出し、チオドスというバンドを新しく生まれ変わらせた。そこには全メンバーが、純粋に自分の好きな音楽を楽しんでいる熱情を感じ取ることができる。ある意味、全盛期以上の輝きを放ち、熱く情熱的な姿勢を感じるのだ。個人的には前々作と同じくらい好きな作品だ。

2014/06/08

Chiodos  『Illuminaudio』

イルミノーディオイルミノーディオ
チオドス

CR JAPAN 2010-10-23
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 ボーカルがグレイグ・オーウェンからにブランドン・ボルマーに代わり発表された10年発表の3作目。今作を発表する前、まずグレイグ・オーウェンが脱退した経緯から説明しよう。話は07年にさかのぼる。この年の9月にバンドは2作目となる『ボーン・パレス・バレー』を発表した。その作品が世間の評価が高く、全米アルバムチャート初登場5位を記録し、全米最大のパンクの祭典、ワープド・ツアーで、見事メインステージ公演を果たした。

 その作品とバンドの評価が高まり、バンドの絶頂期を向かえていくのとは裏腹に、08年7月24日にグレイグはオーバードースで倒れた。以前から彼は双極性障害や不安発作に悩まされていたという。そして08年の10月には、2ndアルバムに新曲をプラスした『ボーン・パレス・バレー:グランド・コーダ』をメジャーレーベルのワーナー・ブラザーズから再リリースされた。セールスも20万枚を超え、世間の評価は高まる一方だった。そんな矢先に起きた事故だったのだ。

 そして09年5月にはドラムを担当していたデリック・フロストが、バンドとの不和を理由に、脱退を表明。結局グレイグも、オーバードスが原因で09年9月24日に脱退させられた。後に自身のホームページで「動揺し怒りが込み上げている。本当にショック」。と語っており、本人の意思とは関係なく、強制的に脱退させられたようだ。

 そして新ボーカルであるブランドンが加入し、10年10月5日に、3作目となる今作が発表。そんな紆余曲折を経て発表された今作は、もはやスクリーモとは呼べないくらい変化している。とくにメロディーは、優雅で上品なピアノは薄まり、スペイシーなデジタル音と、バヴハウスやコーンなどのホラーやゴズ的な要素を感じるメロディーに変化している。そしてギターのリフには重さが加わり、さらにノイジーでヘヴィーに激しさが増している。前作の上流階級の華麗な世界観に、ゴズやホラーなどの新しい要素を加え、改良し、幻想的で薄暗い世界観に変化させた。新しい形のスクリーモを提示したのだ。

 だがここまで変化すると、彼ら本来の良さが失われている。とくに変化を感じるのは、やはりブランドンのボーカルスタイルだ。甘く滑らかで美しい歌声のボーカリストだが、そこには意志の強さを感じる。先ほど述べたようにグレイグは双極性障害や不安発作に悩まされていたとように、神経質で精神的に脆く、不安定なボーカルだった。だがその不安定で精神の限界のふちをギリギリで渡るかのような危うさと脆さというチオドス特有の世界観を構築し、チオドスの魅力になっていたのだ。ブラントンの意志の強さを感じる歌声が、チオドス独特の繊細な世界観を壊してしまったのだ。いうならボーカルのリアリティーが、虚飾に満ちた世界に変えてしまったのだ。

 サウンドとしてはよくできている作品だ。ただボーカルの交代が裏目に出てしまっている。それが残念に感じた。

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